食卓の木の下で(遊◎機械/全自動シアター)・青山円形劇場 |
DVDもVHSも市販のソフトがほとんど何もないってのも(その一点が下記)、このクニの文化度の低さをものがたり業腹きわまりないのだが、この劇団の活動の後期の代表的演目であった舞台のVHS録画(2000年代初めまで日曜日の深夜に放送されていた演劇番組・「20世紀新演劇パレード」-BS2-の録画)を観つつ、批評を記しておこう。
『食卓の木の下で~あの日、あの時、みんな笑った~』(2001・再演版 )青山円形劇場)(再演情報)。
「遊◎機械/全自動シアター」(劇団詳細)。80年~90年代にかけて「小劇場演劇」ブームがあった。ここはそのなかでも特異な位置を占めた。白井晃、高泉淳子、陰山泰ら早稲田大学演劇研究会(通称「劇研」)を母体に発足。集団創作によるworkshopから役柄を創作する。そして、そのworkshop活動のなか高泉淳子が創りあげ演じた「山田のぼる君」(小学生)は一世を風靡(代表作・『僕の時間の深呼吸』/1986)。家族のひずみを内面化した孤独な小学生(でも可愛くてお茶目)。白井晃がときに父親を演じ、ふたりの舞台でのやり取りが笑いと涙を誘った。
のちに高泉が劇作家として当劇団の座付き作者の位置を占め、同時に役者としても新たな境地を開く。この「遊◎機械」最後期作品の舞台で高泉は少女から老女まで、幅広い年代層の女性を好演している。
『食卓の木の下で~あの日、あの時、みんな笑った~』
① この劇団の特徴を成す、テーブルでの食事シーン。この食卓を真ん中に据えた小竹信節の見事な舞台美術。幸福だった一家族が、赤子の長男の死を契機に崩壊してゆく。
② 食事シーンでの父(白井)と次女(高泉)による食物の「好き嫌い」をめぐるやり取り。家族での食卓の団欒が、愛情のやりとりの駆け引きになってしまう悲劇。
舞台では父が無意識に次女に対して発するメッセージ(というか、メタ・メッセージかな?)が再三、出てくる。それは、「嫌いなものをちゃんと食べなさい。それができたら、パパ、おまえのことをもっともっと愛してあげる」、という含意のメッセージである。こどもを愛するという、その本来は無償である行為であるはずなのに、そこにハードル(条件)をつけてしまう父親である。こどもにとっては無条件の愛が大事なのに!!
そんな「父の娘」である次女は、父の愛を確認したいがために無理やり、きらいな鶏肉を食す。観ている側も切なくなるシーンである。
劇作家としての高泉淳子の面目躍如たる、鋭い家族の愛と病理をめぐる観察。そして、成人した次女が、そんな病理を内面化している自己を、お見合い相手の青年(白井が父との二役を)との付き合いを通して回復してゆく。
舞台の付随音楽もこの劇団の売り物であった。この舞台ではシューベルトの「即興曲変ロ長調」(D935-NO3)、そして、「L-o-v-e」(ナット・キング・コール・歌)が折々に。音楽が、当作品が与える感動に一役を買う。
http://www.aoyama.org/
http://www.amazon.co.jp/...