ラフマニノフという憧憬−ピアノ協奏曲第3番− |
ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』は、ピアノ少年少女たち、すなわち全世界のライナスたちの憧憬の一曲である。必ず、この曲に一度は憧れるのだ。この曲をオケとともに弾く自分の姿を思い浮かべながら。それはこどもが持つ自己ナルシシズムへの傾倒と不可分だ。かつての少年期の私がそうだった。
N響定期(第1785回)のFMでの生中継(http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/... )。 ピアノはウズベキスタンは首都タシケント出身の新鋭24歳。ベフソド・アブドゥライモフ。ウラジミール・アシュケナージ指揮。
解説の作曲家・野平一郎の指摘の通り、指揮のアシュケナージ自身がピアノ奏者としても最も得意とする曲。私はアシュケナージがまだ青年時代に弾いた『3番』の録音に痛く惹かれていたので、私とほぼ同年代の野平氏もかくや? と思った次第。
つまり、このアブドゥライモフという若い子がいわば、アシュケナージという“父のまなざし”からいつ解放されるか? が焦点であった。結果は、やはり“父”の審級のくびき(結果的にはピアノとオケのアンサンブルとの緊密性として表出されることとなる)の枠内に収まった感は否めない。やはり、この大曲の難曲は、相当、手強いのだった。
この“父のまなざし”をめぐって余談。実在のオーストラリアのピアニスト、D・ヘルフゴッドの伝記映画『シャイン』。この映画は、“ピアノ教育”パパ(クラウス・ミューラー・スタール)の専制の元で、いかに子のヘルフゴッド(デイヴィッド・ラッシュ)が委縮し、精神を病んでゆくか? が映画の主題であり、作品全体に流れるラフマニノフ『第3番』という音楽自体が、子のまえに立ち塞がる父という巨大な壁、その暗喩として描かれていた。
アブドゥライモフが弾いた第1楽章のカデンツァ。2つヴァージョンがある中、彼はいわば定石通り、長いほうを選んだ。私が小学生5年生の時に購ったInternational music.co 版。もはやこの楽譜は使い過ぎてかねてより頁が落丁しはじめてきていて、おまけに猫が吐いた吐しゃ物までこべり付いている【汗!!】ので、米国のネット楽譜販売会社のバーゲンで廉価だったのを買ったschirmer版。それでも音譜が小さすぎて読み辛いので、これもネットからとったロシア発の無料版の、カデンツァそれ自体が独立して印刷されている版、を参照しつつ(写真・上)、
ラフマニノフの分厚い音のテクスチャーは、よく言われるような身長が2メートル近い巨大な体躯のラフマニノフの手に起因するのではなく(もちろんこれは一理在りなのだが)、この音の織物(テクスチャー)の質感自体を、ロマン派以降のロシア音楽の一要素として捉えたほうが、音楽史的視野から言って有効だと思う。
あと、もうひとつ。たとえば第3楽章の冒頭部分(写真・中の楽譜)。 聴くひとには「〽レー、ララ、レー、ララ、レラレラレッレ、ミーラ、ミ、レ、ミラミ」(ブロンフマン-ゲルギエフ )
、という上声部の旋律が強調されて聴こえるのだが、内声ではこの主旋律の対位法的処理がめまぐるしく行われていて、おまけに速度が異常に速いので、これが曲の演奏を困難にしている原因なのだが、じつはラフマニノフの後期ロマン派的音楽の背後に、やはりきちんとヨハン・セバスティアン・バッハが存在しているのだと気付かされる。むしろこういった視点のほうが重要だろう。
写真の下:第3楽章のラストに向う部分。この曲中、ピアニストには最も厄介な箇所。テンポが急速なうえ、譜面の読み込みも大変である。しかし、いまやこの箇所。
最近ではいかに冷静にオケとピアノのアンサンブルを整えるかに、プロのあいだで主眼が置かれているようで、アブドゥライモフ‐アシュケナージはじつに精巧にアンサンブルを合わせていた。この箇所をイェフィム・ブロンフマンのピアノ。ゲルギエフ指揮-ウイーン・フィルの映像で(楽譜上はa tempo prima=元のテンポに戻って、の指示がある箇所から次頁の終わりまで)。
a tempo primaの7小節前から当の箇所まで、第1楽章の第2主題が回顧される。この箇所もラフマニノフの音楽の分厚いテクスチャーが良く見てとれる。右の映像でこの演奏の全曲が聴けるのだが、ピアノとオケのアンサンブルが最初から最後まで一体感を示している演奏の典型例だ。